私はいつものように自分のことで落ち込みながら家に向かって歩いていた。
 家まで後10分というその時…私の目に赤い屋根が飛び込んできた。
「あれ? あんな所にお店なんてあったっけ!?」
 この道はいつも通る道。
 昨日もなかったし、今朝もなかったような…。
 疑問に思いながらも私の足はいつの間にかその店に向かっていた。

 近づくと店名が分かった。『イマージュ』というらしい。
 店の前で立ち止まっていると
「いらっしゃいませ」と長い髪の美しい女性が声をかけてきた。
 モデルと見間違うほどの背の高さ。きっと最低でも175センチはあると思う。
 プロポーションの抜群でまるでマネキン人形を見ているかのようだった。
 メイクもばっちり決めているがきっと素顔も美しいだろう。
 彼女はにっこりと微笑み、
「どうぞ中へ」と言った。
「い、いえ、別に入る気では…」
「いいのよ、見るだけも」
 また彼女はにっこりと微笑む。
 その笑顔につられて私は店の中へ足を踏み入れた。

「うわー!」
 店に入った途端、私は声を上げてしまった。
 店の広さは3畳ほどの大きさだがその両側の壁に天井までの大きな棚があり、
その中にすべて口紅が入っていたのだ。
「うちは口紅専門店なの。 驚いた?」
「は、はい。これだけの口紅を見るの初めてです!」
「うちの商品はすべて手作りなのよ。オリジナルなの」
「そうなんですか」
「やっぱり人によって似合う色って違うから。……そう言えばあなたはメイクしてないのね」
「え、えぇ、まあ…」
 痛いところを突かれて私は下を向いてしまった。
 実は就職して少しの間は私も簡単なメイクはしていたのだ。
 だけど、むなしい自分を感じてしまった時からメイクを止めてしまった。
 してもしなくても同じだと思ってしまったから。

「うちの商品使ってみる?」
「え、で、でも…」
「いいのよ。今日のお代は結構よ。 試しに、ねっ!?」
 女性は店の奥に置いてあった椅子を持ってきて無理やり私を座らせると、
自分のポケットから青色とオレンジ色の布を取り出した。
「何ですか、その布?」
「人に似合う色は大まかに分けて2つあるの。Yベースと呼ばれる黄色系とBベースと言われる青系よ。
それをこの2つの布で調べられるの」
「へぇーそんなことで分かるんですか」
「本当は何色も使ったり、他にもいろいろとやるんだけど今日は簡単にね。…えっと」
 女性は私の肩に2つの布を交互にあてた。
「…あなたはBベース。つまり青系の人ね。ちょっと待ってて」
 女性は布をしまうと、口紅の棚に向かった。
 何本か手に取り、ふたを開けて見比べた後、1本の口紅を持ってきた。
「これなんてどう?」
 女性はふたを開けて見せてくれた。それは何と深い赤、深紅だった。
「こんなに赤いんですか!」
「赤いって程でもないわよ、大丈夫。 あなたのベースに合わせてたんだから。じゃ、塗ってみましょう」
 そう言った女性の手にはいつの間にリップブラシがにぎられている。
「あ、あの…」
「大丈夫!」
 彼女は自信たっぷりに言うと私に口紅を塗ってくれた。

「出来たわ。鏡を見て」
 女性が指差す。その先には鏡がつるしてあった。
 私はゆっくりと鏡の前に立つ。
「……あ」
 私は小さく声を上げ、止まってしまった。
 鏡の中の自分が別人だったから。口紅を塗っただけなのに…なぜか輝いて見えたのだ。
「それがあなたよ。口紅を塗っただけでこんなに変われるの」
「信じられません。前少しだけメイクしたことあるんですけど、こんなに変われませんでした」
「きっと色選びがよくなかったのね。…それにうちの口紅は特別製なのよ」
「特別製?」
「いろいろ入ってるのよ。 女の子がきれいになる成分がね」
 女性は意味ありげに微笑んだ。
「きれいよ。とてもきれい。うちは口紅専門店だからフルメイクしてあげられないけど、
今のあなたはそれだけでも充分いけてるわ」
「そ、そうですか!」
 私の声は大きくなっていた。
 ほめられて嬉しかったのだ。こんなにほめられたのは何年ぶりだろう。
「貸して上げるわ、その口紅。 リップブラシはあげる」
「え!?」
「あなたが気にいったの。だから、貸してあげる」
「で、でも口紅って口につけるものだからレンタルってわけにはいかないのでは!?
いくらリップブラシを使うって言っても…」
「いいの、特別よ。貸してあげるんだからいつか必ず返してもらうわよ。
……そうね、あなたがそれを必要としなくなった時に返してちょうだい」
「必要としなくなった時!?」
「あなたは毎日流されているだけでしょう!?」
 女性は鋭い目つきで私を見た。 それはぞっとするほどの恐ろしい目つきで…。
 だがすぐに彼女の表情は変わり、聖母のような微笑を浮かべて言葉を続けた。
「変わらない毎日、変わらない自分。
自分から行動したいけど出来ずに、自分に嫌気がさしていたわね」
「…は、はい」
「だからここに来たのよ。
ここは変わりたいけど変われない女性が来る店。口紅1本で変わらせてあげるところ。
でもね…確かにうちの商品は特別製だけど、これで変わるわけじゃないの。
うちの商品はきっかけにすぎない」
「きっかけ…ですか」
「変わるというのはものすごく勇気がいること。
でもね、たった1本の口紅で変われることもある。
女の子ってきれいって言われれば輝きがますわ。もっともっと美しくなれる。
私は口紅ときれいという言葉であなたに魔法をかけた。
でもこれはさっきも言った通り、変わるきっかけにすぎない。
だから自分で行動できる『勇気』が出来たらこの口紅は返してちょうだい。
……もし、返さなかったり売ってなんて言って来たら恐ろしいことになるわ」
「えっ!?」
 私はそう言った女性を見て固まってしまった。
 先ほどの鋭い目つきでまた見ていたのだ。 それも今度は殺気も感じ取れた。
 …恐い。 何なの、この人は!?
「あ、固まっちゃった!? …ふふ、大丈夫よ」
 女性はまたあの聖母のような微笑を見せ、私の肩を叩いた。
「約束さえ守ってくれたら大丈夫。 あなたは幸せになれる。 明日からのあなたは違うわよ!」