次の日。
 私はあの口紅を塗って家を出た。
 確かに女性が言っていた通り、私は違っていたらしい。
 部屋を出てすぐにいつも会っても無視ばかりする隣りの部屋の奥さんが
「あら、どうしたの? 今日すごくきれい」と声をかけてきたんだから。
 通勤中もすごかった。 何人もの男性がナンパしてきたのだ、朝から!
 いまだに信じられなかった。
 口紅を塗っただけで何でこんなに違うの!?
 
 それは花時計についてからも続く。
 店についてすぐ
「ど、どうしたの?」と店長が驚きの声をあげた。
「どうしたのって言われましても…」
「すっごくきれいだよー! 本当に驚いた。
口紅しか塗ってないみたいだけど、それだけでも充分きれいだ、のぞみちゃん!
僕が妻子持ちじゃなかったら絶対プロポーズするね」
「は、はぁ…」
「これで売上アップ間違いなしだ!」
「そ、そうですか」
「だって看板娘が出来たんだもん」
 そう言うと店長はなぜかスキップをして店の奥へと消えていった。
 その態度に私は唖然となったがすぐに我を取り戻し、開店準備を始めた。
 売上が伸びるよと言った店長をバカにしながら…。
 ……でも、店長の言葉は正しかった。

「こ、これを下さい!」
「あ、俺、これお願いします」
 その日のお昼過ぎ、急に店が込み始めた。
 男性のお客が異常にやってきたのだ。
 今までこんなこと1度もなかった。
 私も店長もてんてこ舞いで花を包む。
 終いにはすべて私にやってくれというお客まで現れた。

 そして夜8時半。閉店の時間。
 この店始まって以来の営業時間の延長だ。
 ものすごい忙しさに店長のきっちり閉店の執念も出てこなかった。
 怒るどころか店長は異常ににこにこしていた。
「すごかったね、今日は。 今日の売上、何と2倍だ!!」
 店長がシャッターを閉めながら嬉しそうに言った。
「2倍もあったんですか。 忙しかったですもんね」
「これもすべてのぞみちゃんのお陰だよー! あ、でも明日はお休みか。 残念…」
「は、はぁ。…じゃあ、失礼します」
「気をつけて!」
 店長は大きく手を振って見送ってくれた。

 
 バタン。
 家の扉を閉める音。
 いつも聞くこの音はむなしさを誘う音だった。
 この音を聞いた後すぐにベットになだれ込み、そのまま眠ることさえもあった。
 少しでも自分のことで悩む時間を減らしたかったのだ。
 …だが、今日は違う。
 この音でさえ私を『きれい』とほめているように聞こえた。
 
 いい気分だった私はひさしぶりにテレビのスイッチを入れてみた。
 毎日嫌な気分でテレビを見ることもしていなかったのだ。
 スイッチを入れるとちょうど今一番人気の女優が出ている化粧品のCMをやっているところだった。
 アイメーク用の化粧品らしい。
 それを見てすぐ私は『買おう』と思った。
 口紅1本でこれだけ変われたんだもの。
 フルメイクすればどんなに変われるか。……絶対にきれいになれる!